離島移住記①前書き~辺境の離島に住みたい【離島大遠征?】

離島移住記録

(旧ブログで書いていた離島移住(大遠征の日々)を再編集して情報も整理しつつ順次載せていこうと思います。宜しければご覧くださいませ。シリアスな文調で書いていきます。)

いきなり注釈

注1:沖磯釣行は別枠でカテゴリーを作り,仔細に情報を載せようかと思います。遠征したい人と移住したい人は少し需要が違う面もあると思いますし。なお釣行記を読む前にはこちらのページをご一読願います。https://remember-fish.blog/hahajima-rock-fishing-report-attention/
注2:滞在中購入したものにメーカーやAmazonなどのリンク張ってあります。購入の参考にどうぞ。
注3:魚の名前は青マーカー、アドバイス、情報はオレンジマーカーで印してあります。また良い魚印象に残る魚が釣れた、見たという日は日付の見出しのあとに魚の名前を書いてあります(沖磯は別)。メアジは初回のみ表示しました。
注4:地磯の場所、具体名、アクセス経路については一切お答えしません。ニュースなどには出ませんが滑落して亡くなった方やケガした方それなりにいます。ワタクシが滞在中にも死亡事故はありました。そしてそれを回収に行くのは専門の訓練を受けた公務員ではなく一般島民なのです。また慣れないと危険を伴う地磯の釣りの詳細な記述を避けております。
注5:基本的に日記であります。移住に直接関係ない思考の記録や感情的な記述があり極私的な文章があります。南の島に幻想を抱く人はご覧にならない方が良いかもしれません(笑)

登場人物(一部敬称略しております)

先輩:会社の先輩方。固有名詞としてでなく会社の先輩達をまとめてあえて先輩と表示します。わかりにくくてすみません。この方々とは文中には別に留学生の先輩(島民ではない)も出てきます。
釣り名人:かつて遠征でお世話になったが。
釣り友:以前遠征に行ったときに同磯した方々
若旦那:宿泊施設の男性。
留学生:大学留年にショックのあまり弾けて離島バイトに申し込んでしまった大学生。略して留学生。
マイウェイ君:島で働く公務員。
先生:学校で働く先生。複数名います。青年:進学で島を出たがコロナ禍で疎開していた青年。釣りをしつつ有名大学の幸せ生活を聞き愕然とした(笑)
イカっプル:いつも二人でイカ釣りをしていたので。本当にカップルかは不明。
Pさん:アイランドポッパー。移住者。
あと島民、遠征、旅行にに来た方々など。それぞれのイニシャルやニックネームで表記します。

移住のきっかけ

自分が好きな場所に住みたい。

海と森
小笠原諸島父島扇浦の眺め
小笠原諸島母島の夕日


多くの人が生きていれば一度は思うのではないだろうか?

ワタクシの場合それが小笠原だったということ。


小笠原との馴れ初めは幼少期に見た釣り番組。磯の夜釣りで大の大人が必死のファイトをしている。巨大なリールから出る糸を止めることができない。それが衝撃だった。陸地からそんな大きな魚と対峙することができるなんて。4歳で釣りに出会って以来40年以上。短期間離れた時期もあったもののずっと翻弄されっぱなしだ。

初めての小笠原

実際に小笠原諸島を訪れたのが社会人になった2003年夏。細切れ日本一周の一環で訪れた。お盆の時期を過ぎていたが夏休みで船は満杯。隣の人と肩が触れるような状態で25時間かかって小笠原諸島の父島に到着。そこからさらに2時間半かけて母島へ。台風の接近もあって海はうねっていたが独特な雰囲気と海の色、スクーターで走ればそして少し甘い空気の香りにすっかり惚れ込んでしまった。

それから細切れで日本各地を回った。八重山地方も行った。皆素敵な場所だった。しかし一番鮮烈な印象だったのが場所が小笠原だったのだ。

それからは

機会を見ては(いや作っては)小笠原に通うことを日々のよりどころにする日々。2013年には念願の沖磯釣行も実現し、更に小笠原にのめりこむ日々。のちだんだん募ってくる気持ち。転職も休暇取得に理解のある業種職場を選んでいた。(というか自分の当初の就職先が夏休み2日、いやなし、とかや有給取得ほぼ不可なんて言う条件ばかりだったのだ。経営者からすると少ない人件費で働かせねば、と思うのだろうが彼らがどれくらいの価値観で人を見ているかの基準になると思う。)

そうして苦労して辿り着いた職場はやはり安住の地ではなかった。日頃の鬱積から経営者に食って掛かってしまった。始末書書かされてから退職をようやく認められた。

さて退職方向へとなり、親に報告。島に移住したいと伝える。ずっと言えなかった言葉。親ももはやあきらめ顔だが移住の具体的な話の時は少し言葉を荒げた。心配をかけるなぁ。と自省。年も年。所帯なし。医療の現場ではうまくやれたかわからないがどうしてもひとつだけうまくやれない肝心なことがあってそれが重く引っかかる。×1(かける1)のようなことなのだ。前から決めていた。この職場でダメなら一度医療の現場から引ける。加えてその場所の嘘の多さ。自信を持って進められないサービス。そして長時間労働。そういう気は無かった。

どうせ苦労するなら生きたい生き方で。好きな海のそばで、極めたいことをして。そうでないと先に進めない気がして。何か抑えていたのでは。みんな最後は死ぬのだ。や後でなどどいっていると言っているとできなくなるぞ。生活が本腰できないから、家族も持つ勇気もなく。

・・・。

何かしたい事がある時はそれを意識して生きているとそんな流れがやってくることがあると思う。そういうきっかけを無意識に探してしまう。するとそういう流れにたどり着くような気もする。それが運命なのか無意識に自分が選んでいるのか。

これは動くしかない。最大のチャンスだ。自分の思うように生きても良いじゃないか。


世の移住した人の中にはこんな感じて突発的に状況が動く人がいるのではないだろうか。よっぽどの機会がないと移住なんて踏ん切りなんてつかないもの。自分が手にしてきたものを手放すなんてこわいもの。

そこからは話がトントン拍子に進んだ。予備知識はあっても見切りで動き出した移住計画であったが島の釣り友に話をしていたら彼の職場で社員を募集しているとのこと。あっという間に仮住まいと仕事が見つかった。

間違いない、この流れだな、と。

かつての小笠原旅で知り合ったオガ友の中には実際に移住してみた人も複数いる。しかし今は内地に引き上げている。そこで連絡をとり話を聞いてみた。彼女たちもかなりの小笠原ファンであるがそれでも3年ぐらいで引き揚げたのだ。その理由はなんだろうか?
とにかくお試して移住してみよう。と結論付けた。期間は1年目安。状況を見て伸ばすかどうかを考えよう。

3月から始まります!

港

離島の友

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Posted by Kamaji